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悠久録(過去の悠久録はこちら)
長岡新聞・悠久録No.1145:長岡空襲
(7月31日分)
花火の季節である。夏の歳時記は空襲の思い出に繋がる。長岡は16万3000発余りの焼夷
弾で市街地の約8割が焼けた。失われた命は1500人に近い。73年経過したが、記憶は消え
ることはない▼長岡市は「非核平和都市宣言」を行い、長岡戦災資料館では「長岡空襲の体
験を聞く会」を続けている。今年、「長岡まつり前夜祭」は「平和祭」と名称を変更。思いを新た
にした▼金子登美さんは、空襲の語り部として当時の話を伝え続けている。小学校6年生(11)
のとき空襲に遭った。後年、60歳に近くなった時、初めて沈黙を破って、某会合で悲惨な思い
出を語ったという▼このとき、出席者の一人から「おめさんさ、ウチの姪と同じ年んがいのー」と
だけ言われ、涙ながらに手を握られる。長岡にはそのような哀しみを背負って生きている人が
少なくない。そしてその哀しみは全国に広がっている▼米軍による空襲は1944年11月に始ま
り、その後、サイパン島、テニアン島、グアム島などから飛び立ったB29が無差別に都市を空
襲した。8月15日までのわずか10ヵ月ほどの間に、200以上の都市が灰燼に帰し、970万人
が被災した。焼失家屋も内地全戸数の約2割という▼日本は戦争遂行力を失い、原爆投下も
あって降伏する。その被害詳細を戦後の47年、米国戦略爆撃調査団が調査し、25万人以上
の死者が出たとした。だが100万人との説もある(京都女子大学田中利幸氏)▼8月1日は忘
れられない日である。花火の煌めきにその想いを感じたい。(とけいそう)


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