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悠久録(過去の悠久録はこちら)
長岡新聞・悠久録No.1146:鉄砲の伝来から花火へ
(8月2日分)
今日と明日の長岡は花火の見物客で賑わうことだろう。花火と言えば火薬である。火薬と言え
ば鉄砲を思い起こす▼鉄砲の日本伝来は、1543(天文12)年。兵器としての威力は絶大で、
多くの戦国大名が入手につとめた。領内での大量製造も目論んだ。だが火薬の入手は難しか
ったようだ。当時の火薬は黒色火薬で木炭、硫黄、硝石(硝酸カリウム)から製造したという▼
森林が豊富で火山国である日本では、木炭や硫黄の入手は簡単であった。硫黄などは当時
の重要な輸出品目で、ヨーロッパ諸国の軍事需要を支えていた。むしろ余るほどだった。だが
硝石は天然に産出しない。鉄砲だけでは弾丸を打つことができず、火薬は欠かせないのに、
その硝石は国内で産出しない▼戦国時代の様々な戦いの陰には、硝石を入手するための駆
け引きがある。戦国大名は入手に知恵を絞った。硝石を確保できれば、鬼に金棒である。そ
れに成功した者が戦さに勝ち続ける。天下を手中にできるだろう。上杉謙信は良港を求めて
本拠地を高田に移し、武田信玄も海を求めて南下政策をとった。だが武田家は織田・徳川連
合と衝突し、結局滅亡してしまう▼時代が下って太平の世を謳歌した江戸時代に、混ぜ物を入
れることで色が付くことが知られるようになった。花火の発見である。こうして火薬は別の発展
をする。そして両国の川開きなどで、きらびやかな花火が上がるようになる。またたく間に全国
に普及した▼戦さの無い時代に火薬は新たな役割を見つけ、もてはやされるようになった。平
和とは有り難いものである。(とけいそう)



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