長岡新聞:トップ
社主のプロフイール 
購読の申込みメールでOK。 1か月1851円です。
新刊案内『長岡築城物語』、『いい湯めぐり温泉紀行』:詳しくはこちら
川柳、俳句、短歌に投稿しませんか:詳しくはこちら

悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.860:松岡譲
(6月27日分)

毎日暑い。涼を求めて悠久山公園を散策したが、暑いことに変わりはない。公園の一角に松
岡譲の碑があった▼松岡は明治24年、長岡市石坂村(現村松町)に生まれた。旧制長岡中
学、第一高等学校を経て東京帝国大学哲学科在学中に夏目漱石に私淑。芥川龍之介、菊池
寛、久米正雄らとともに中央文壇で活躍した。『法城を護る人々』(大正12年刊)は代表作とさ
れている。長岡には数少ない文学者というべきだろう▼松岡は夏目漱石の長女筆子と結婚
(当事松岡27歳)した。だが久米正雄も筆子にあこがれていた。その遺恨であろうか久米は
『破船』を著し松岡を非難したという。一連のことを松岡の娘半藤末利子氏(半藤一利氏夫人)
が『ふるさと長岡の人びと』(長岡市刊・平成10年)に寄せている▼中央文壇での栄達よりも筆
子との田舎住まいを選んだ松岡。敬愛する人々は、「松岡譲賞」を創設し、没後4年を経た昭
和48年、碑を悠久山公園に建てた。わきには中学時代の同級生で詩人の堀口大学の詩碑が
ある。「鴉山人」(あさんじん・松岡の号)と呼びかける堀口の追悼は、「僕より先に逝くなんて/
むごくはないか/松岡君/待てなかったか」と、友情を込めている。だが、「松岡譲賞」も「鴉山
忌日」の集まりも、20年前に途絶えた▼長岡ペンクラブは『40号記念増刊号』で松岡の遺徳を
偲んでいる。2度の戦火でゼロからのスタートを強いられた長岡は、産業復興が最優先課題だ
った。だが松岡や堀口のような文化の担い手も、大きな役割を果たしている。(とけいそう)


 記者を募集しています(0258−32−1933:星野へ) 
購読の申込みも同番号へ
トップへ
戻る