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悠久録(過去の悠久録はこちら)
(4月11日分)
お花見の季節である。あちこちで桜が咲いている。テレビでは東京の桜を連日放映していた。
週が替わって、いよいよ長岡の出番である。悠久山では桜まつりが始まっている▼桜の美しさ は日本人の心に染み込んでいる。幾多の「花守」のおかげでもある。人は満開の桜がもたらす 美に耽溺した。だから古来、「花」といえば桜を指した。そして折々の心の屈折を桜に託し、散 り際の美しさと潔さをDNAとした▼長岡が生んだ僧良寛は「散る桜残る桜も散る桜」と詠み、い のちのはかなさを詠じている。西行法師は「願わくば花の下にて春死なむ」と詠む。釈迦の入 寂にあわせて如月(きさらぎ)の頃を願い、桜を想っている。まことに桜の魅力は限りない▼だ がその美しさ、はかなさはあまりにも妖艶である。陽だまりの桜は美しく輝くにしても、ぼんぼり の下では己の命を吸い尽くすようでもある。春は美しい花に酔うのであるが、ものういときであ る。桜の魅力を「花疲れ」と語るときの古人は、そのような風情を見つめていたのだろう。春愁 が身に沁みてくる▼梶井基次郎の小説に『桜の樹の下には』がある。初出は1928年12月。 内容はかなりおぞましい。坂口安吾の小説『桜の森の満開の下』も同じであろうか。初出は19 47年6月。国文学者柳田国男は桜の下には死者がいるとの民間伝承を紹介する。桜は春に なるとそれらを呼び戻し、咲かせ、はらはらと散っていく。その潔さに、この世のものとは思えぬ 美しさを見つめている▼今年も花の美しさに酔う日がやってきた。(とけいそう)
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