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悠久録(過去の悠久録はこちら)
長岡新聞・悠久録No.1156:今村明恒博士の地震予測

科学者で随筆家の寺田寅彦博士(1878〜1935)は、「天災は忘れたころにやってくる」と述
べた。これを弟子の中谷宇吉郎博士(1900〜62)が自著で紹介した▼だが寅彦博士の著作
のどこにも、この言葉は出てこない。出典を問われた宇吉郎博士は「ペンを使わないで書かれ
た文字」と述べ、頭を掻いた、と聞いた。言った言わないの典型みたいな話しであるが、「災害
は忘れたころに来る」のは確かである▼今月1日は1923年、東京を大地震が襲った日であ
る。190万人が被災し10万人以上が死亡あるいは行方不明になった。建物は全壊が11万
棟、全焼が21万棟という(いずれも概数)。それを忘れまいと「防災の日」に指定されたが、災
害はなくならない。防災演習を尻目に北海道に地震が襲来した▼関東大震災を予測したのは
今村明恒博士(1870〜1948)である。博士は1905年、関東地方で周期的に大地震が起き
ていることから、50年以内に東京で大地震が発生すると論文を公表した。そして急いで対策を
とる必要性を訴えた。18年後、関東大震災は博士の予想通りに起きる。被害もおおむね予想
通りだった。おかげで博士は「地震の神様」と讃えられている▼誠に神の声だった。だが発表
当時は、根拠がない、世情を動揺させると誹謗を受け、博士の地震予報は無視された。当然、
対策は進まず、未曾有の被害も防げなかった。地震の神様は「天災は忘れないだけでは不十
分で、防備することが重要だ」と言い残している。誠に至言である。(とけいそう)



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