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長岡新聞・悠久録No.1151:金印と銀印

ハンコで最も有名なものは『金印』だろう。西暦57年、中国・漢の光武帝が日本の王に純金製
のハンコを与えた。長く行方が知れなかったが、1784年に見つかる。発見した黒田藩の儒者
亀井南冥は、その功で藩校の校長に立身したが、南冥の陰謀でないかとの疑義がある。不思
議なことが多すぎるのだ▼とはいえ『金印』は縦横ともに23・5_の純金製で、重さは108c。
「漢委奴国王」と刻まれている。現在は押しも押されもせぬ国宝として、福岡市博物館に鎮座
する。光武帝から日本の王として認められたと、当時の支配層は嬉々としていたのだろうか▼
時代がさがること幕末に、徳川家は、『銀印』を作った。自ら作ったのであって、与えられたもの
ではない。篆刻家益田香遠に「経文緯武」と刻ませて、日本の文化力と武力の双方を誇示し
た。大きさは縦横ともに9・2センチ、高さ7・8センチで重さは2・7キロもある。徳川家の自信と
気負いを窺わせる▼だが、与えられたハンコが金で、自ら作ったハンコが銀であるのが興味
深い。古代の『金印』に遠慮したのだろうか。当時の世界が銀本位制だったからなのだろうか
▼徳川記念財団(東京都)が2017年に徳川宗家の蔵を整理した際、三つ葉葵の黒塗りの箱
から出てきたという。出所は確かで、しかも米国の国立公文書館が所蔵する日米修好通商条
約の印影とも一致する。本物である▼『銀印』は9月15日から、県立歴史博物館「徳川の栄華」
展で公開される。ハンコに託した往時の意気込みは迫力満点だろう。(とけいそう)


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