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悠久録(過去の悠久録はこちら)
長岡新聞・悠久録No.1148:2回目の原爆投下
▼悠久録(No.1148)

(8月9日分)
太平洋戦争時の今日、長崎市に原爆が投下された。広島市(8月6日)に次ぐ2回目の投下だ
った。日本は世界でただひとつの被爆国となり、以来、戦後70年を超えた今も、核兵器廃絶へ
の願いは強く続いている▼あの当時、2回目の原爆投下に直面して日本政府は、ようやく降伏
を決意する。だが少し遅かったとの指摘は多い。戦死者の多くは、最後の1年間に集中したの
だから、その指摘も当然なのだろう。長岡市への空襲は8月1日だった。降伏のわずか2週間
前でしかない▼わずかな決断の遅れが戦争の惨禍を広げた。政府がもう少し早く決断してお
れば、と思うのであるが、当時の日本は、戦闘能力を失いながらも掛け声だけは勇ましかっ
た。勇ましい掛け声のなかでは、なかなか決断できない▼明治維新のとき、最後の将軍徳川
慶喜は江戸城を無血開城し、ひたすら恭順の姿勢を示した。西郷隆盛との談判はあまりにも
名高い。歴史家は薩長軍との戦力差を分析するなどして、戦えば勝ったなどと解説する。小説
家は当事者の心理を推量する。真実は判然としないが、それでも慶喜の恭順は、多くの生命と
財産を江戸の町に残したのは確かである▼安倍首相は6日、広島市での平和記念式典で
「『核兵器のない世界』の実現に向け、粘り強く努力を重ねていく」と強調した。だが、国連での
核兵器禁止条約には触れようとしない。どこかで腰が引けているかに見える。政治の課題で明
快な結論を出すのは、今も昔も躊躇してしまうのか▼8月はいつも、さまざまな思いが交差す
る。(とけいそう)



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