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妙音講で「瞽女(ごぜ)唄」公演
東京からツアー客も
(2016.4.26掲載)
 
瞽女唄ネットワーク(鈴木昭英会長)は4月16日、「妙音講」を唯敬寺(えいきょうじ・草生津3)
で開催。「瞽女(ごぜ)唄」公演をした。この日は瞽女唄を継承する横川恵子さん、須藤鈴子さ
ん、室橋光枝さんが、それぞれ得意の瞽女唄を披露した。
この日に合わせて朝日旅行(東京)はツアーを企画。首都圏からも瞽女唄を楽しもうと観光客
が集まり、伝統の芸能を堪能していた。

長岡瞽女は長岡の文化

瞽女は旅をしながら、三味線片手に弾き語りをする盲目女性の呼び名である。社会福祉制度
が何もなかった時代に視力を失った女性たちの生きるすべは、瞽女になることだった。生計を
立てるための福祉組織でもあった。瞽女唄を伝承することで生計を維持してきたのである。
盲目の彼女たちは「手引き」といわれた多少とも視力のある女性を先頭に縦列に並んで歩く。
県内はもとより東北から関東一円まで、年間をとおして各地をまわり、家々の門で歌い、食べ
物やお金をもらった(門付け)。時には瞽女に好意を寄せる素封家の家に泊めてもらい芸を披
露した。
新潟県には瞽女(越後瞽女)が多く存在し、高田瞽女と長岡瞽女が全国的にも大きな組織だっ
た。長岡瞽女の頭(かしら)は代々山本ゴイを襲名した。初代は長岡藩主牧野家の縁に繋が
る。手厚い保護を受けていたのであろう。300坪近くの土地を賜り、扶持米も給せられたとい
う。古志・三島・刈羽・魚沼・頸城など牧野家本領や預かり領を中心に唄い旅をした。だが瞽女
社会は師弟関係が厳しかった。
年中旅に出ている瞽女たちであるが毎年1回、「瞽女屋」に勢ぞろいする。「妙音講」と称したこ
の集いは瞽女のお祭りであった。旧暦時代は3月7日に行われ、新暦時代になってからは、4
月に行った。
長岡瞽女は全国で類のない瞽女集団組織を構成していた。だが長岡空襲で「瞽女屋」が消失
すると瞽女の拠り所が無くなり、瞽女たちも昭和40年代をピークに長岡瞽女は衰退していく。

「瞽女御条目」を読み上げる

長く途絶えていた瞽女唄であるが1996(平成8)年、同ネットワークは、「越後瞽女唄・葛の葉
会」の協力を得て50年ぶりに復活させた。
以降、毎年唯敬寺で公演している。今年は、東京からのツアー客も訪れ、盛会だった。「瞽女
松坂」を横川恵子さん、祭文松坂では「阿波の徳島十郎兵衛」の「三の段」を須藤鈴子さん、
「四の段」を室橋光枝さんがそれぞれ披露した。
同葛の葉会は、故小林ハルさん(1900〜2005・黄綬褒章受章・国の重要無形文化財保持
者)の弟子竹下玲子さんの下で、越後瞽女唄を学んでいた生徒が、1999年に結成。瞽女唄
を伝承し、大勢の人に知ってもらおうと活躍している。
「妙音講」では唯敬寺住職三条正憲師が本堂御本尊阿弥陀如来・脇掛瞽女御本尊弁財天に
読経を上げ、それに習い参加者全員で経を唱えた。続いて「瞽女御条目」を朗読。その後、京
唄地唄奉納「桜づくし」を横川恵子さん、金川真美子さんが奉納した。
同ネットワークの鈴木会長は「祭文松坂は瞽女独特の節回しで一つの物語を段に分けて唄う
もの。故小林ハルさんの台本を唄わせてもらっています」と解説した。鈴木さんは1932年長
岡市生まれ。大学卒業後は大阪市立博物館学芸員として活躍し、帰郷後は長岡市立科学博
物館長や同郷土資料館長をつとめた。民俗学のエキスパートである。平成3年「瞽女唄ネット
ワーク」を立ち上げ、瞽女唄の伝承につとめている。著書に『越後瞽女ものがたり―盲目旅芸
人の実像』がある。

「瞽女屋」跡地を巡る

会場には伝統の瞽女唄を聞こうと大勢が集まっていた。
東京から参加した70代女性は、「珍しい。実際に聞くのは初めてです。満足しました」と話し、70
代の男性は「10年前から新聞に載っていた記事を見て興味を持っていました。瞽女唄を聞けて
良かった」と、長岡瞽女の文化に触れたことに満足気だった。
1974年に写真集『瞽女』で日本写真協会新人賞を受賞したカメラマンの橋本照嵩さん(76)も
埼玉から訪れていた。「久しぶりに瞽女さんに触れてみようと思い立った」と話す。ふるさと新潟
応援団でNPO法人ギャラリーグルグルハウス高柳の桑原喜一さん(埼玉県川口市)が誘った
という。
橋本さんは1939年石巻生まれ。30代で長岡瞽女と出会った。瞽女の金子セキさん、中静ミサ
オさん、関ハナさんの旅に随行し、足掛け3年魚沼地方などを回ったという。瞽女さんたちの写
真を撮りながら「越後の風が運んでくる風土とそこに働く生活の匂い。当時の住んでいるところ
の生活の唄が聞こえてくる、そんなところに惹かれた」と話す。
参加者は公演終了後、大工町(現日赤1丁目)にあった瞽女屋敷跡を見学した。
長岡瞽女の頭は代々山本ゴイを名乗った。昭和に入り養子を迎え、山本家の名跡を残してい
る。瞽女屋敷跡近くに住む70代男性は「ここは瞽女小路と昔から呼ばれていました。この辺一
帯瞽女屋敷があったそうです」と話す。
鈴木会長は「ここを宿にしていました。300坪くらいの広い土地で、この辺にありました。妙音
講には屋台が小路に並んでにぎやかだったそうです」と説明。伝統の文化を懐かしんだ。




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長岡の民俗芸能を楽しむ
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