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(8月22日分)
「荒海や佐渡に横たふ天の川」は、芭蕉の句として有名である。夏の日本海、あるいは天の川
をうたった句としては、右に出るものはないとされる▼芭蕉は1689(元禄2)年3月、江戸を立 ち東北の旅に出る。和歌に歌われた名所旧跡(歌枕)を訪ねようとの思いからという。戻ること はないかもしれない。自宅を売り払って路銀とした。同行するのは門人の曽良(そら)。克明な 旅日記(『奥の細道』)を残している。おかげで芭蕉の旅は詳細が分かる▼冒頭の句は元禄2 年(1689年)7月4日、出雲崎に宿泊した際に想起した。そして、七夕の日に直江津で門人た ちが開いた俳席で披露する。曽良の記録は詳細である。だが出雲崎から見る天の川は、星ぼ しが佐渡に流れ込むように見えるという。つまり横にならず立っている。「横たふ」は事実と異な るとの指摘がある▼そのうえ夏の日本海は静かである。「荒海」であれば天候は悪く、天の川 は見えないともいう。芭蕉の心象風景は、実際とはずいぶん違っているとの異見である。だが 佐渡は日蓮上人、世阿弥、順徳天皇らが流された土地である。その歴史を芭蕉は知っていた だろう▼流人の悲哀に重ねて年に一度だけしか会えない七夕伝説がある。佐渡と天の川の対 比から何を連想したかは、記録が無く想像しかできない。とはいえ、流人への哀しみが句に結 実した。佐渡と天の川の雄大さを見るには、日本海は想いを阻む「荒海」でなければならない ▼芭蕉の天の川は自然状況をはるかに超越して、越後の風景に迫っている。(とけいそう)
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