長岡新聞:トップ
社主のプロフイール 
購読の申込みメールでOK。  1か月1851円です。
新刊案内『長岡築城物語』、『いい湯めぐり温泉紀行』:詳しくはこちら


悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.781:養蚕は重要な産業だった

2014年7月1日掲載
養蚕(ようさん)は古来、重要な産業だった。蚕(かいこ)がつむぐ糸が生糸(きいと)になり絹に
なる。一時期はストッキングとして世界中の女性の足を、日本産の絹が飾った。大産業だった
▼だが蚕は目も見えず、飛ぶことも無い。桑(くわ)の葉だけを食べ4回の脱皮を経て繭にな
る。5000年の人類の歴史がこのような昆虫を育て、「お蚕さま」と呼称して大切にしてきた▼
蚕は一生の間に卵、幼虫、蛹(さなぎ)、成虫(蛾)と変化する。蛹になるときに口から白い極細
の糸を吐いて繭(まゆ)を創る。この糸が生糸である。蚕は繭の中で蛹になるが、人は羽化す
る前に繭を煮て糸を取り出す。蚕の一生はここで終わる▼絹織物の産地栃尾地域の貴渡(た
かのり)神社は、1848年建立。植村角左衛門貴渡(うえむらかくざえもんたかのり)を祀る。角
左衛門は養蚕を奨励し、縞紬(しまつむぎ)を広めた。おかげで栃尾地域は絹の産地として栄
えてきた▼同神社には石川雲蝶(うんちょう・1814〜1883)が社殿全体に彫刻を遺してい
る。桑摘みや蚕の世話をする様子、繭を煮たり、機織りに励む女性などである。9月の本祭に
は織物関係者が数多く参詣し、角左衛門の偉業に感謝する▼同じような養蚕の産地が世界遺
産に決まった。「富岡製糸場と絹産業遺産群」である(群馬県富岡市)。世界遺産の決定で、過
去の産業遺構に再び光が当たった。「蚕だけが絹を吐く」という。蚕と人のかかわりは深い。本
県でも佐渡の金山が控えている。金山にもおおいに期待したい。(とけいそう)

記者を募集しています(0258−32−1933:星野へ) 
購読の申込みも同番号へ
トップへ
戻る