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シリーズ「開物成務」

第1回

北越印刷

その1

創業明治9年

活字による情報発信を続けて150年


 ITの急速な発展が多方面で進み、印刷業界にも紙からデジタル化の波が押し寄せてい
る。来年、創業150年を迎える老舗企業である北越印刷(本社=南陽2、高山宏明社長
)は、デジタルと従来の印刷技術を融合させ、雑誌や新聞などに最新の印刷技術を提供。
地域社会の文化に貢献し続けている。目指すところは「みんなの幸せを追及する」こと。
この課題を常に掲げトライし続ける。

そこで同社社長の高山宏明氏(61、長岡出身、佐藤松雄会長から社長職を継承して11年目。
7代目社長)と現会長(6代目社長)に話を聞いた(全5回)。



地域の情報を発信し続けた激動の歴史

まず同社の歴史を振り返ってみよう。

 創業は1876(明治9)年。以来、雑誌や新聞などの刊行物で、活字による情報を提
供し続けた。来年150年を迎える。長岡商工会議所(今年創立120周年)、長岡市
(来年市政施行120年)などとともに、郷土発展の先駆けとして活躍、戦災や震災な
どを含め、長岡の歴史と共に歩んできた。

初代社長は長岡出身の大橋佐平(1836〜1901)である。大橋は北越社を創立
し、長岡で最初といわれる雑誌、『北越雑誌』(月3回発行)を刊行した。新聞(『越
佐新聞』)も手がけた。博文館(東京・出版業、現博文館新社)を創業し、日本最大の
出版社として隆盛を誇った。印刷所、広告会社、洋紙会社など次々に創業した。

 1910(明治43)年、『越佐新聞』を『北越新報』と改題。柳原2丁目に移転新築
し、�竃k越新報社を新たに設立した。当時の社長は内田三省氏。大時計を屋根の上に備
えた外観は長岡市民の注目の的となり、大評判となった。

 1937(昭和12)年に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまると、紙不足もあ
り新聞統制が始まった。翌年に『新聞用紙制限令』を施行。1県1紙の流れから194
1年、『北越新報社』は『越佐新報社』と合併し『新潟県中央新聞社』となる。

 さらに1942(昭和17)年、政府による新聞統制は厳しくなり、『新潟県中央新
聞』の新聞部門は、『新潟日日新聞』及び『上越新聞』と統合され現在の『新潟日報』
となった。

 一方、新潟県中央新聞の印刷部門は1943(昭和18)年、商号を北越印刷�鰍ニし、
印刷及び付属事業を専業とする印刷会社となり、柳原町にあった旧�竃k越新報社の社屋
でスタートした。


空襲で焼土となった郷土

 順調に発展した同社であってが、時代の荒波にもまれる。1945(昭和20)年8月
、長岡は米軍の焼夷弾投下により焼け野原となり、市街地の8割を焼失。死者も140
0人を超えた。

社屋周辺も攻撃対象となり、爆撃開始直後から猛火に包まれ、保存されていた資料は全
て焼失した。このため、当時の歴史を記したものは殆ど残っていないという。市民に愛
され続けた名物の時計台も社屋と共に灰と化してしまった。

(つづく)




                       
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