長岡新聞:トップ
社主のプロフイール 
購読の申込みメールでOK。 1か月1851円です。
新刊案内『長岡築城物語』、『いい湯めぐり温泉紀行』:詳しくはこちら
川柳、俳句、短歌に投稿しませんか:詳しくはこちら

悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.897:『昭和天皇実録』

 宮内庁が24年かけて編纂した『昭和天皇実録』を発行(完了は5年後)している。昭和天皇の
歴史は戦争の歴史と重なる。その全てを詳細に記録し公表する▼昭和16年12月8日、日本海
軍は米軍の太平洋拠点である真珠湾(米国・ハワイ)を奇襲した。中国大陸で戦い続けていた
日本は、太平洋でも更なる強敵と対峙する。指揮官は山本五十六。長岡出身である。昭和天
皇の意をくみ対米戦争に反対したと伝わるが、連合艦隊司令長官として奇襲を指揮。戦史に
残る成功を示す。だが半年後のミッドウエー海戦で、日本は主力空母4隻と優秀なパイロット
の全てを失った▼昭和20年8月1日には、長岡も大規模な空襲を受け甚大な被害を受けた。
そして8月15日、ポツダム宣言を受諾し降伏する。その決断は昭和20年8月14日午前11時2
分の「御前会議」で、昭和天皇が「再度」の聖断を下したことによる。「再度」と言うのは8月10
日に聖断が下ったのであるが、閣議が紛糾し纏らなかったからである。立憲君主制の下で、極
めて例外的な天皇の決断が、更なる惨禍をようやく止めた。冒頭述べた『昭和天皇実録』は、
そうした日本の分岐点を語って余りある▼さらに宮内庁はホームページで「御前会議」が行わ
れた吹上御文庫付属室を、写真25枚とビデオで公開している。この部屋が日本の命運を決め
たのである。広さは建面積が631・5平方b。3bのコンクリート壁で囲まれている。水洗トイレ
もある▼70年の歳月は、日本の「あの時」を明るみに出してきた。(とけいそう)



 記者を募集しています(0258−32−1933:星野へ) 
購読の申込みも同番号へ
トップへ
戻る