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番外:贅沢は敵だ
(8月1日分)

「ぜいたくは敵だ!」「国債でさあもう一機もう一艦」などの標語が溢れていた時代は、70年前
になった。あの当時の日本は戦争遂行のため必死だった。1932年の満州国建国、37年の日
中戦争開始から続く長い戦争だった▼ついに日本は物資が欠乏。軍需品を作るために金属
の回収が始まる。長岡でも寺院の梵鐘、仏像、仏具、銅像が消えた。さらに貴金属。ついには
鍋や鎌、弁当箱なども消えた。長生橋の欄干、雁木の鉄製柱も消えた▼食料までも配給制に
なる。規制無視の「闇」(やみ)を防ぐため、蔵王、中島、長生橋、四郎丸、城岡に「関所」まで
出現した。市民生活は大きな影響を受けたのである。だがそれでも、米軍機の侵入を防ぐこと
はできなかった。45年8月1日午後10時30分。長岡は焦土と化す。攻撃は低空から町全域を
襲った。米軍機はピンポイントに軍事施設だけを狙う爆撃をやめて、ただひたすら地上を猛火
に包むことに専念した▼米軍は木と紙でできた日本住宅は燃えやすいと判断。住宅を焼けば
住宅と混在している軍需工場は、おのずから燃えるとしたのである。空襲は2日午前0時10分
まで続き、市街地の8割が焼け、死者は1500人に迫った。日本は「欲しがりません、勝つまで
は」と声かけ合い耐えてきた。だが得たものは何もなかった▼戦後70年。ようやく平和に過ごし
てきた日々である。物は豊かで環境は清潔である。空襲の心配もない。それをどのようにして
次の世代に繋ぐのか。今を生きている者への問いかけは、続いている。(とけいそう)

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