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11月21日掲載
人間はストレスなしで能天気に暮らせば、120歳までは生きると聞いた。ストレスは人間の寿
命に大きな影響がある。だから余命○○との宣告を受けた人でも、ストレスを避けたら病が消 えたなど、信じられないような話は少なくない▼山田又七(1855〜1918)もその一人である。 なかなかの豪傑肌の人物であったが、書画骨董の趣味もなく、囲碁も将棋もやらなかったとい う。だが酒好きだった。飲み方は半端ではない。朝9時に出社すると11時頃までは仕事に集中 するが、そのあとはちびりチビリと飲んで夜になる▼おかげで体を壊した。医師は余命3年と宣 告する。こうなると普通は酒量を控え、健康維持に努めるのであるが、又七は逆だった。「どう せ3年の命ならば」と連日乱痴気騒ぎで飲んだ。ストレスは感じなかったのだろう。そして改め て診察を受けると、ナント病が治っていたという。内藤隆夫さん(東京大学経済学部教授)が日 本石油の機関誌からとして紹介している(『ふるさと長岡の人々』平成10年長岡市)▼又七は和 島村(当時)に生まれ、宝田石油を興し、日本一の石油会社に育て上げた。長岡の経済発展 に大きな功績を残している。だが晩年社内での実権を失っていたという。そして同社は1921 年、日本石油と合併(現JXTGエネルギー梶jする▼晩年の又七は令終会を興し悠久山公園 を造成するが、公園の完成を見ずに急死した。晩年はストレスが大きかったのだろうか。同社 本社の跡地にはアオーレが建ち、時の移ろいを見つめている。(とけいそう)
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